安穏と書かれし寺門12月






宮尾登美子 『松風の家』

京言葉にはいいなと思う。
京言葉にくわしいわけでもないが、作者は京都の人ではないのに、あれだけ書けるのは、やはり、それなりのブレーンがいるのだろうな、とも想像する。
仙台の言葉はまったく知らないけれど、すごい。
作家が自分で方言辞典などで調べて書くものかしら、と。。
しかし、神戸の人が京言葉を使うのは不自然で、ずっと違和感が残った。

とても、内容は面白くて、読み出すと3時、4時まで読んでいた。

仙台から後伴家に嫁入りする娘に諭す継母の弁(これが最高)

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一に言葉、二に金
言葉は何か相手の記憶に残るような思いやりのあるものをいつも必ず一言付け加える
『お早うございます』のあと、『いつもお元気そうで』とか『寒くなりましたがお風邪ひかれませんよう』とか、加減の良くない人には『かげながらお案じしておりました』
それを口先だけでなく、心から相手を案じる気持ちを込めて

町角で知人に会ったとき、近づいて挨拶を交わすまでの間に頭の中で考えるのは、相手の家の慶弔のできごと、あるいは自分に贈られたものがあったかどうか、丁寧に見舞いや礼をのべること

要するに、ちょっとの縁でも断ち切らないで上下のへだてなく人を大切に扱う

言葉は無料、金というもので証
人の上にたつものは金の持つ役割と便利さを十分心得
やたら金品を贈って相手からさげすまされる場合もある、うんと気とつけ、うまくいけばこれほど強力な武器はない

贈答品については決してしみったれた気を起こさないよう
このくらいでいい、と考えても、もう一段上のものを奮発
相手が送り主を絶対忘れないよう
また、下の人へは、この節、2、30銭、だけれど、必ずどんと1円札を

たとえ手元に金がなくても、
金はこの世の回り物、出さねば懐にまた入ってこないけれども、惜しみなく出すと倍にも3倍にもなってかえってくる

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このごろは何か機会がないと小説を読まなくなった。
残された時間があといくらかはわからないが、もったいないような気がするのだ。
Rさんのお陰で、完璧と思えるくらいのいい小説にめぐり合えたのだけれど(しょうもないのを読んで、時間をつぶしたくないという懸念)他の宮尾作品を読んでみたいとは、もう、思わなくなった。
私の乏しい読書歴でしかないけれど、ストーリーは違っても、ベースになる設定がその作家によって同じような気がする。若いときは、それはそれで、次から次へと楽しめたのに、やはり、もう若くはない!
ほんの少ししか読んでいないのだけれど、最近では浅田次郎宮部みゆきにはそのベースが無い、と感じる。それでも、もう、読めない。

自分が生きている証拠、って何だろう、ふと思う。